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「シルヴィア・・・。・・・どうしてここに来たんだ?」
フーゴが驚きを隠せないままに尋ねると、シルヴィアは少し照れたように頬を掻いた。
それは、フーゴが今までに彼女から見たことのない表情だった。これまでの彼女の表情は荒んだもので、その内に常に警戒心が潜んでいることが感じられるものだった。
しかし、今、目の前に居る彼女の眼差しは、警戒心というよりは幾分かの優しさを湛えたものだった。衣服も改められており、乱れていた銀髪も背中の中ほどの辺りまで真っ直ぐに整えられている。
「もっと南に逃げようと思ってたんだけど、途中でゲネポスが群れてこっちに来てるのを見て、あんたに知らせなきゃと思ってさ。
・・・何?」
「・・・あ。ああ、いや、なんでもない。」
フーゴは、自分でも気づかないうちに、シルヴィアに見とれてしまっていた。
目を奪われていた、と言ってもよかった。改めてみる彼女は、それほど美しく見えた。もともと端整な顔立ちではあったが、それも汚い身なりのせいでくすんで見えていたのだろう。
正面から彼女を見ることに、どこか気恥ずかしさを感じて、フーゴは軽く目をそらした。
「しかし、どうやってここに入ってきたんだ?門番も、そこにいる監視の者も、君を通しはしなかっただろう?」
「ああ。フーゴに会わせろって言っても会わせてもらえなかったから、ちょっと寝てもらってるよ。」
「寝てもらってる?」
フーゴは何のことかと思い、ドアの外を確認した。
そこには、気絶して横たわる兵の姿があった。
「シルヴィア、君は一体何者なんだ?」
フーゴは、投げかけるように言った。
今までに溜まっていた様々な問いの全てを、それに含めたつもりだった。彼女は何者なのか、どうして指名手配を受けているのか、そして、彼女がウルタニアに来てから起こっている、一連の物事の関連は何なのか―― 。
シルヴィアは顔を背けた。その横顔は、心なしか悲しげに見える。
「あたしは、ギルドナイトだよ。」
ぽつりと、呟くようにシルヴィアが言った。
「指名手配される前は、ナスティのハンターギルドに居てさ。そこで1~2ヵ月前にギルドから、北の火山での任務を命令されたんだ。
でも、任務自体はそんなに難しいものじゃなかったからさ、何でギルドナイトの任務になるのか分かんなかったんだけど・・・。」
シルヴィアの声は徐々に震えを増していき、そこで一度途切れた。そして彼女は、目を閉じてうつむいた。
少しの間の後、彼女は意を決したようにこちらを見た。
「火山の一番奥に、見たこともない、黒くて大きい飛龍が居てさ。目が合っただけで、怖くて、気が狂いそうになって、あたしは逃げたんだ。
・・・あれは、黒龍だと思う。」
彼女の目は、明らかな潤みを帯びていた。その目や表情、全てを通じて、彼女が体験した苦しみが、フーゴにも伝わってくるようだった。
開け放たれた窓からは初夏の風が緩く舞い込んできて、彼女の髪をなびかせた。外には相変わらずの青空が広がっている。
街の喧騒も、不思議と今は聞こえなかった。
「黒龍・・・?」
フーゴがいぶかしげに尋ねると、シルヴィアは頷いた。
「ギルドはその後すぐに、あたしを殺すための追っ手を差し向けたし、王国からも指名手配された。多分、黒龍を見たあたしの口を封じようとしてるんだと思う。」
「・・・そうか。君がそう言うなら、本当にそうなんだろう。しかし、これは絶対に他言しないほうがいいな。」
シルヴィアは再び頷いた。
黒龍が実際にこの世界に存在し、今も火山の奥深くに眠っているなど、にわかには信じられない話だった。しかし、彼女の様子は、それが真実であると十分に感じさせるものだった。
数百年前に数え切れない程の人々の命を奪ったといわれる飛龍が、今もこの世界に存在すると知れ渡れば、この大陸はパニックに陥るだろう。人々は、黒い災厄の復活に常に怯えながら暮らさなければならないことになる。
この状況から改めて考えると、数日前にフーゴの下に投げ込まれた密書にも、それらしさが感じられた。シルヴィアには王国から直々の指名手配がかけられている。おそらくこれは、黒龍の存在を知った者――シルヴィアを消そうとする動きに、王国も一枚噛んでいるということだろう。
「しかし、黒龍も一大事だが、まずはゲネポスを何とかしなければいけない。」
フーゴが冷静で居られたのは、黒龍よりも差し迫った問題が、今もなおウルタニアに近づいているからだった。おそらくゲネポスの群れは、数日のうちにウルタニアに到達するものと思われた。
フーゴとしては、一刻も早くモゼスに奪われた権力を取り戻したいと考えていた。信用のならないモゼスよりも、自身の手でこの街を守りたいという思いがあったのだ。
「そのことなんだけど、フーゴ。あたしは、ガラじゃないけど、あんたには恩があると思ってる。何かあんたの力になれることはない?」
シルヴィアは落ち着きを取り戻したようで、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
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翌日以降フーゴは、ウルタニア城内の自室に、半ば軟禁に近い形で閉じ込められることとなった。ドアの向こうには、フーゴを監視するための兵が常駐している。
重臣たちとの会議以来、彼はウルタニアの主としての身分も自由もすべて奪われていた。今の彼にできることは、ただ眼下の街を眺めて時をやり過ごすことだけだった。
フーゴは、街の様子を案じていた。
現在も体面上はウルタニアの支配者であるフーゴの下には、何の情報も入ってこなかった。しかし、それでも騒がしい城下の様子からは、今もゲネポスの群れがこの街に迫っているということが感じられた。
フーゴに代わってウルタニアを指揮しているモゼスがどのように動いているのかは、分からなかった。
ただ、彼が王国を贔屓していることだけは明らかだった。フーゴや他の者が思ったように、共和国側の色合いが強いナスティ公を頼るような真似はしないだろう。
フーゴの心配は、もしかしたらこの街が真っ向からゲネポスの群れと戦うことになるかもしれない、ということだった。
「ガレオス」や「リオレイア」などといった、この地域にごく少数生息する飛龍種と比べると、ゲネポスは小さく、力も弱いため、そこまで凶悪な存在ではない。しかし、それでもウルタニアの凡庸な軍隊とたった2人の地元ハンターにとっては、十分に手強い相手だった。
この街や市民が、無事に済むとは思えない。
フーゴは可能ならばナスティに急使を出して救援を請い、住民をヒルコン川対岸のナスティ側に逃がすべきだと感じていた。数十隻の大型ガレー船を持つという噂のナスティ公であれば、それが出来るはずである。
しかしそこまで考えても、フーゴにはため息をつくことしか出来なかった。今まで持っていた権力は、ほとんど全てモゼスに奪われ、今では彼らに意見することすらできない。
ふと、ドアをノックする音が聞こえた。
「フーゴ。」
その声には聞き覚えがあった。
振り向くと、意志の強さが感じられる赤い眼差しが、真っ直ぐにこちらに向いていた。整えられた銀色の長髪が日の光を浴びて鈍く輝いている。
フーゴは目を見開いた。
「シルヴィア・・・。」
フーゴの驚いた様子を見ると、シルヴィアはさも満足気に笑った。
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ニノンによるシルヴィアの捜索が始まったが、フーゴとしても彼女の行方は気になった。
(もう一度、彼女と話がしてみたい。)
フーゴは、時が経つにつれてその気持ちが大きくなることを感じていた。彼女にもう一度会い、改めて彼女本人の口から事情を聞きたいと思った。
その上で、なんとかして彼女を保護してやりたいとすら感じた。彼女がウルタニアから消えた今、不思議と彼女に対する執着を感じるのだ。
いてもたっても居られなくなったフーゴは、グラニコス兵長を呼び、秘密裏にシルヴィアの捜索隊を編成するように命じた。
(知らぬ間に惚れてしまったのかも知れないな。)
胸が締め付けられるような苦しみに似た感情がふつふつと湧きあがって来ることを、フーゴは感じていた。少なくとも今までに感じたことのない、なんとも形容しがたい感情だった。
グラニコスの編成した捜索隊は、すぐその日のうちに活動を始めたようであった。
一隊がフーゴの下に知らせをもたらしたのは、それから数日後であった。
しかし、それはフーゴが待ち望んでいたシルヴィア発見の報では無かった。
「十数匹のドスゲネポスに率いられたゲネポスの群れが、ゆっくりとこちらに向かって来ているようです。1週間を待たずにこの街に到達することでしょう。」
フーゴの前に立つ大男、グラニコスがそう報告した。
浅黒い褐色の肌に、後頭部でまとめた長髪には白いものが混じっている。それだけでも、この男が過ごしてきた年季を感じさせるには十分であった。
「ゲネポスの群れだと?数はどれくらいだ?」
「数百に上ることは確実かと思われます。」
「数百・・・。」
フーゴは絶句した。
ゲネポスは主に乾燥地帯に生息する、小型の肉食竜である。小型といっても背丈は大の男ほどあり、鋭い牙と爪には相手の身の自由を奪う毒腺を持っていた。
この肉食竜には、時に人間も"獲物"となっていた。身のこなしも軽く、そこそこ腕の立つものでなければ相手をすることは難しい。
それが更に強力なドスゲネポスに率いられて、数百も群れて来るというのである。
ウルタニアは、危機にさらされていると言っても良かった。今ウルタニアに居る兵は、せいぜい500名程度で、この数のゲネポスを相手に正面から戦うことは不可能だった。
この筋の専門家といえばハンターだが、それも、平和なこの街には2人しか居ない。
「まずは市民をすべて城壁の内に退避させ、固く城門を閉ざすのが先決かと。」
グラニコスの提案は、至極まっとうなものだった。ウルタニアはその市街地を堅牢な城壁に守られた都市だが、城壁の外に住む者も多く居た。
「・・・そうしよう。すぐに兵たちの戦闘態勢も整えるようにしてくれ。
それと、このことについて、他の者ともよく諮りたい。主だった者たちを呼んできてくれ。」
「はっ。」
グラニコスは少し腰を曲げて礼をして、足早に公務室から立ち去った。
すぐにウルタニアの重臣たちが集まり、会議が開かれた。
会議の雰囲気は、重苦しいものだった。しかし、下手をすれば数千の死者を生むのだから、この雰囲気は当然のものであった。
しばらくの沈黙の後、ある男がナスティ公に救援を頼むべきだと言った。それがどのような結果を招くのか、男も分からないで言った訳ではなかっただろう。
王国への反意を抱いているナスティ公を頼るとなれば、当然、今後ウルタニアはナスティと共同路線を取らなければいけない。この地に反王国の旗幟を立てるのと同じであった。
しかし、重臣たちはこぞってこの意見に賛成した。
彼らにしてみれば、"ワラ"をも掴む思いでナスティ公を頼ろうというのだった。位置的にもウルタニアに一番近く、王国内でも屈指の実力者のナスティ公であれば、すぐに何かしらの救援行動を起こしてくれるだろう。
そしてその気持ちはフーゴも同じであった。
もっとも、彼の場合は他の重臣たちとは少し心境が違った。寡兵で敵に立ち向かうより心細さよりは、ウルタニア市民を守るためにも、ぜひともナスティ公の力を借りるべきだと感じていた。
「ナスティを頼るなどとは、なんと馬鹿馬鹿しい。」
ナスティ公を頼ることに賛同の声が高まる中、筆頭重臣のモゼスが言い放った。
その一言で、誰もが押し黙った。重臣たちの中には、この場においてもモゼスに楯突こうという者はいなかった。
「私もみなと同じ意見だ。
王国を裏切ることにはなるかもしれないが、ウルタニアを守るためには背に腹は代えられないだろうと思う。」
「これはこれは、らしからぬ短慮でございますな、フーゴ殿。
さてはあの、指名手配の女にでもたぶらかされましたかな。」
モゼスの片頬が緩んだ。明らかに蔑意の籠もった笑みだった。
「何のことだ?」
「首都ペルシャナでは、フーゴ殿が裏で共和国側の女、シルヴィア・イルスティーンと繋がっていると、かねてより噂になっておりますぞ。
よもや、それが真実ではないでしょうな?」
重臣たちがざわめいた。
フーゴは、モゼスの自分に対する明らかな悪意を感じた。この場において重臣たちを混乱させ、フーゴに対する信用を一挙に削ぎ落とそうとでもしているのだろう。
「モゼス、お前は・・・。」
フーゴは、怒りで震えを感じた。
モゼスはそのままの笑みでフーゴを一瞥した後、立ち上がって周囲を見渡した。
「みなのもの、フーゴ殿は卑しい女に騙され、正気を失っておられる。若さゆえの過ちであろうが、この緊急の時に判断を誤られては、フランツ家の名にも関わる。
ここは、フーゴ殿には状況を静観していただき、このモゼスがウルタニア全権の委任を頂こうと思うが、どうだろうか。」
しばらく重臣たちはざわめいていたが、次第にモゼスに賛成するものが現れた。それは波打つように全体に広がっていった。
フーゴは、突然のモゼスの発言に言葉を失っていた。
モゼスに対する敗北感も徐々に感じ始めていた。ウルタニアの政界内では若いフーゴの信用がいかに薄いもので、モゼスの持つ権力がいかに厚いものか、思い知らされたのだ。
<<<前話 次話>>>
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「ニノン殿は、ハンターギルドの腕利きの者だそうです。今後、ウルタニアを基点として女の捜索に当たりたいとのこと。」
ニノンの横に回ったモゼスがこちらを見て言った。
「すると君はハンターなのか?」
「ええ、そうでございますよ。そのようには見えないかもしれませんけど。」
ニノンはそう言うと、ふふ、と声を出して笑った。
フーゴはすっかり驚いてしまっていた。目の前に居る小柄で物腰も柔らかい女性がハンターだとは、彼には考えられなかった。
そしてフーゴは、この女性ならばシルヴィアについて何か知っているかもしれないと思った。シルヴィアについて、フーゴは少なからず特別な感情を抱くようになっていた。恋愛の類ではないだろうが、時に同情を超えた何かを感じることがある。
そのような彼女のことを何も知らないままに捕らえられたのでは、フーゴとしても納得がいかなかった。
「シルヴィアはどうしてこのように指名手配を受けるはめになったのだろうか?
君が知っているなら、教えてくれないか。」
ニノンはうつむき加減に首を振った。
「いくらフーゴ殿のお頼みといっても、それはお答えできませんわ。
しかし、一つだけ言えることは、彼女は必ず捕らえなければいけない存在だということ。」
「捕らえて、どのようにしようというのだ?」
「それは、刑に処するのみでございますよ。」
落ち着いた語調で、ニノンは淡々と答えた。
「それはさておきまして、フーゴ殿はシルヴィアにお会いしたことがあるのですよね?彼女がどこへ向かったか、聞いておられますか?」
「いや、私は聞いていない。
実は先程彼女の様子を見に行ったのだが、その時初めて彼女が居なくなっていることに気づいたのだ。」
「・・・そうですか。しかしそれならば、まだウルタニアから離れた場所にはいないはずです。フーゴ殿のご許可がいただければ、すぐに捜索に取りかかりますわ。」
フーゴは、少し考えた。ニノンのウルタニアでの活動を許可するのに、ためらいを感じたのだ。
彼にはシルヴィアが悪人だとは、どうしても思えなかった。彼女に対する個人的な感情もある。
しかし、ここでフーゴが怪しい動きを見せたのでは、再び王国から猜疑の目を向けられる可能性があった。ニノンの雇い主が王国なのは明白である。
「許可しよう。」
フーゴがそう言うと、ニノンは再び微笑みをこちらに向け、礼をした。
そして、モゼスと共に部屋から出て行った。
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城に戻ると、すぐにモゼスがフーゴのもとにやってきた。モゼスは王国の首都、ペルシャナで王太子と会見した後、早速その報告にやってきたらしい。
モゼスはぎょろりとフーゴを見た後、軽く一礼してから口を開いた。
「王太子にこの国の立場を説明し、ご理解をいただいて参りました。王太子よりは、鉱物や火薬草といった物資のナスティへの供給を出来る限り停止するように、伝言を承っております。」
「ふむ、そうか。」
王太子イヴァン・アマンダスは、王国内部では唯一、王からの信用を得ている人物であった。とりあえず、王国の側から理解が得られたと言っても良かった。
「しかしフーゴ殿。この私に隠し事をしておりますな?」
そう言って、モゼスは睨みつけるよう眉間にしわを寄せた。
「隠し事だと?」
フーゴは突然のモゼスの問い詰めに驚いた。彼としては隠し事として思い当たる節などまったく無かった。
「シルヴィア、という女をかくまっておられますな?
かの者は反政府運動をして王国の指名手配を受けている者です。王国の内部でもフーゴ殿が指名手配の女をかくまっていると、噂になっておりますぞ。」
「馬鹿な。私はシルヴィアをかくまってなどいない。」
「左様でございますか。しかしその口ぶりは、会ったことはある、といった感じですかな?」
「それは、会ったことならばあるが・・・。」
フーゴは、自分とシルヴィアの接触が既に噂になっていることを意外に思った。
フーゴが彼女と会うときはいつも二人きりであったし、彼女との関係を口外したことは無い。とすれば一体、誰がこの噂を流したというのだろうか。
それだけでなく、彼女がこの街に逃げ込んでいたこと自体、ずっと以前から知られていたということになる。
(こちらの手の内は見透かされているということか。)
フーゴは、王国の情報力の高さに舌を巻く思いだった。シルヴィアのみでなく、ウルタニアの動静までもがつぶさに知られていたように思われた。
「やはりそうでございましたか。そのことで、ウルタニアがどれほどの疑いを受けていたことか・・・。」
モゼスはため息混じりに言った。
おそらくフーゴが、シルヴィアを通じて共和国の側と接触をした、とでも思われていたのだろう。
「本日は、その女を捕らえるために派遣されてきた者を連れてまいりました。ご紹介いたします。」
フーゴが頷いたのを見ると、モゼスは半身を後ろに向けて、入ってよいぞ、と言った。
すぐに女が部屋に入ってきた。
女は白いワイシャツに赤いベストという珍しい格好をしていた。女性らしいややふっくらとした顔つきに、くりっとした目が印象的だった。髪は短めに整えられている。年はおそらく20半ばより前だろう。
「ニノン・ヴィレッテと申します。お目にかかれて光栄です。」
ニノンと名乗った女は、うやうやしく礼をした。
フーゴが彼女を見て頷くと、彼女はやさしい微笑みを返してきた。
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モゼスがペルシャナに向かった翌日のことである。
ウルタニア城の3階にあるフーゴの寝室に、不可解な書状が投げ込まれた。
小高い丘の頂上にそびえ立ち、背面を雄大なヒルコン川に守られたウルタニア城の高層階には、矢も投石も届かないはずである。何かを投げ込む手段など無い。
フーゴは、いぶかしみながらも書状を開いた。
一読してフーゴは、そんなはずは無いだろうと思った。
書状にはまず、現在王位に就いているミハルヒト王の横暴が述べられていた。
ミハルヒト王が我欲や猜疑心が強いことは、もはや民衆にすら知れ渡っていることである。この部分は、フーゴも納得ができた。
しかし、問題は次の文章だった。
王国は、封じられた「黒龍」の力を用い、世界を滅ぼせるほどの強大な兵器を生み出そうとしているというのだ。
それを用いて王国による支配を広げ、さらにはフーゴを含む諸侯からも権力を奪い取って、独裁体制を築こうとしているらしい。
末尾には、今後は黒龍の復活を感じ取って飛龍や肉食竜が凶暴化する危険性があるので注意するように、とも記してあった。
(黒龍の力なんて、すっとんきょうなことを言うな。)
フーゴは、そう思った。
「黒龍」の存在は、昔話として知っている人も多くいる。フーゴも昔、本で読んだことがあった。
数百年前のオルゴナ大陸に、「黒龍」と呼ばれる飛龍が突然現れて大陸中の都市を襲撃し、百万を数えるほどの命が失われたことがあった。 その詳細は今となっては誰にも分からないが、その後有志によって討伐されたらしい。
もっとも、現代になってしまってみれば、黒龍という飛龍が本当に存在したのかどうかすら分からなかった。そんなものの力を復活させて使うというのだから、フーゴとしてはこの話に信憑性を感じなかった。
(共和国のスパイか何かの流言だろう。)
おそらく王国への疑心を抱かせようとした何者かが、この書状を投げ込んだのであろう。
フーゴは、これを投げ込んだ者を不快に思った。そしてそれを乱雑に折りたたみ、くず入れに捨てた。
その日は、この時期のウルタニアには珍しく雨だった。
もともと海から遠く離れたウルタニアは、乾燥した気候を持っている。夏の乾季ともなれば、降雨はほとんどなくなってしまう。それでもこの地域の住民が水に事欠くこと無く生活できるのは、常に豊かな水量をたたえるヒルコン川のおかげであった。
フーゴは、この日は傘を持って巡察に出た。街の様子が気になるというよりは、シルヴィアの様子が気になった。
雨のインドラ通りは、道行く人もまばらで、雨独特の土臭いにおいに包まれていた。
しばらく通りを下ってから、彼女がいつも座り込んでいた路地に入った。
フーゴは、彼女のことを少し不安に思った。どこかの軒先を借りて雨宿りが出来ていれば良いが、彼女のような身なりでは、軒先を貸す家もなかなか無いだろう。
狭い路地を早足で進み、やがていつもシルヴィアが座り込んでいた街路樹が見えてきた。
しかし、そこに彼女の姿は無かった。
彼女が単に他の場所で雨宿りをしているのか、それとも遂にウルタニアを去ってしまったのか、フーゴには分からなかった。
しかし、不可解な書状が届けられたその日に彼女がどこかに消えてしまっていたということが、何かの因縁で結び付けられているように思えてならなかった。
フーゴは、一度は落ち着いていた心のざわめきが再び呼び起こされるのを、止めることが出来なかった。
<<<前話 次話>>>
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「・・・なんの用だよ。」
夜のウルタニア市街。
いつもの場所に座って星空をながめていたシルヴィアは、視線もずらすことなく言った。
「気づいていましたか。さすがギルドナイトですね。」
物かげから、一人の男があらわれた。一般人にしてはがたいが良く、夜闇に溶け込むような黒い服を着込んでいる。暗くて顔まで見ることはできないが、ひと目見てどこかの国のスパイだと分かった。
「時期を見て、ナスティ公が立ち上がられます。」
男は、なんのためらいもなく言った。
「ああ。前にフーゴから聞いたよ。」
「ほう、ウルタニア公フーゴ・フランツ殿とお知り合いですか。ならば話が早い。」
男はシルヴィアに近寄り、耳打ちした。
「お願いがあります。」
「・・・?」
「もう気づいているでしょうが、私はヒルンの人間です。」
ヒルンとは、オルゴナ大陸北東部に根を張る共和制国家である。
古くにはオルゴナ大陸のほぼ全域を勢力下に置く巨大な国家であったが、およそ200年前に勃興したアマンダス王国に領を追われ、今では僻地に追いやられて独自の文化を築いている。
「あなたとフーゴ殿に、今後こちらに与していただきたいと思いまして、参りました。」
「・・・嫌だ。あたしはもう、何にも関わりたくないんだ。」
「しかし、追手が近づいておりますよ。ギルドは、あなたがこの場所に居ることを突き止めたようです。あなたを保護できるのは、私たちしかいないと思いますが。」
「あたしは、もういい。こんなの、どっちにしろ死んだも同然だから。」
「そのように自暴自棄にならないでいただきたい。私たちとしては、あなたのような人材が失われることは、惜しい。」
男は少し熱っぽく言った。しかし、どの言葉もシルヴィアの胸には響いてこなかった。
シルヴィアは、ナスティのハンターギルドに所属する「ハンター」だった。
17歳でハンターになってからは自分が生きるにはこの道しかないと感じ、それだけに打ち込んできた。
やがて一流のハンターとして頭角を現した彼女を、ギルドは"ギルドナイト"に任命した。
ギルドナイトとはハンターギルド本部の直属組織で、ギルド内の秘密任務を行うに足ると判断された者たちが任命される。
その任命も内密に行われるため、他のハンターや権力者達はその存在を知っていても、実際に誰がギルドナイトであるのかを知ることはほとんど無い。
しかし、今ではある任務から逃亡したために、シルヴィアはギルドナイトでありながらギルドナイトに追われる身となっている。
彼女にとって、それは人生のすべてを失ったのと同然だった。
「・・・それと、一応お知らせしますが、ギルドはフーゴ殿についても何か手を下そうと考えているようです。あなたとフーゴ殿との接触も、すでに感づかれているのでは?」
「フーゴも?」
フーゴの名前を耳にしたとき、シルヴィアは数日前に会った彼の姿を思い浮かべた。
彼には、本当に世話になっていると思っていた。シルヴィアとしても、ここ数週間の彼からの好意を何も思っていないわけではない。
そんな彼が自分のせいで危険にさらされてしまっているのだ。
シルヴィアは、心が締め付けられるように感じた。
「どうか、賢明なご判断を。」
そう言って、男は立ち去った。
男が立ち去ってからしばらくの間、シルヴィアは宙を見つめながら考え込んでいた。
これ以上ウルタニアに留まれば、さらにフーゴの身は危険になるだろう。
しかし、同時にフーゴの身も案じられた。ギルドナイトならば、いくら権力者のフーゴといえども簡単に手に掛けることができるだろう。
この場に留まって、自分がフーゴの身を守ろうかとさえ思った。
(・・・そんなの、柄じゃないよな。)
シルヴィアは、いつの間にか自分が、他人を守りたい、という自分らしくない考えを持っていることを意外に思った。
そして彼女は、頭の中からフーゴを追い払った。
― 翌朝には、彼女の姿はウルタニアから消えていた。
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翌日、ナスティに潜伏させていた側近たちからフーゴの下へ、初めての報告が届いた。
報告では、やはりナスティ公が王国に反意を持っていることが述べられていた。
しかし情報を集めたからといって、今のところ傍観する以外になかった。ウルタニアには王国にもナスティ公にもはむかう力はなく、何か行動を起こしたところで、どちらかの反感を買うことになるだろう。
それが対策を立てあぐねているように見えるのか、フーゴの周りは、いまだに落ち着きがなかった。フーゴを支えるべき重臣たちも納得してはいない。
「このまま傍観者であり続けるつもりですかな。」
仕事を片付け終わって公務室でくつろいでいるフーゴのもとを、四十路の男が訪ねていた。
顔立ちはほっそりとしているが、眼がぎょろりとつき出していて、口を開くとやや黄色に染まった歯がのぞき見えた。
フランツ家の筆頭重臣の一人、モゼス・ウェイニーである。家柄だけで今の地位を得た男で、我欲が強く、信用できない男だった。
もっとも、モゼスのほうもフーゴを認めている様子はなかった。
彼とはことあるごとに対立することが多く、筆頭重臣という地位が持つ影響力もあいなって、フーゴを悩ませていた。
「仕方がないだろう。今の我々には、どちらを選ぶ力も無いのだから。」
「ほっほっほ。若いですな。」
モゼスはほほをゆがめて笑ったが、その目は鋭くフーゴをとらえていた。
「何がおかしい?」
フーゴも、負けじとモゼスを見返して言った。
この男が何を考えているのか、どれほど考えても理解できたことはなかった。フーゴの権威をそぎ取ろうとしているように思えることすらある。
モゼスがフーゴに反対しているために、重臣たちがまとまらないことがあったのは、一度や二度ではない。
「どちらも選ばぬということは、どちらからも憎まれるということですぞ。王国とナスティ公の戦中は良いとしても、戦後、勝者はあなたを信用いたしますでしょうか?」
「では、どうすればいいと言うのだ?」
「100万をこえるアマンダス王国全軍に、せいぜい7~8万のナスティ公の軍勢が勝てるとお思いですか?たしかに、王国の側につけば我らはナスティ公と戦わねばならず、ウルタニアがかの軍勢によって占領されることは間違いないでしょう。しかし、一時的なものです。」
「だからといって、簡単に王国につけるか!ナスティ公がウルタニアの市民を虐殺しないという保証がどこにある。奴隷としてナスティに連れ去られる者の気持ちを考えられるか。私にはすべてのウルタニア住民に対する責任があり、我らには彼らを守る義務があるのだ!」
「その意気込みだけは認めましょう。」
そう言って、モゼスはまた下卑た笑みを浮かべた。
「笑うな!」
「いやいや、おかしくて笑ったのではありませんよ。
・・・明日、ペルシャナに向かい、イヴァン王太子と会見する予定です。この件については私が処理しましょう。」
「・・・最終的な決定権は私にあるぞ。」
「もちろんですとも。」
最後まで怪しい笑みを残して、モゼスは去った。
ナスティ公の圧力。動かないフーゴ。
重臣たちの不安が、支配者フーゴ個人に対する不満となって、所々から漏れ始めていた。
若いフーゴの指導力をうたがう声もある。フーゴは、今年でやっと22歳である。ウルタニア一国の舵を取るには、あまりにも経験が少なすぎる。
どこかでフーゴが支配者としての力を見せなければ、ウルタニアは内部からくずれていくことだろう。
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フーゴは約束を守り、一週間後にまた彼女のもとをたずねた。シルヴィアは、良くも悪くも変わらずに、同じ場所で同じようにしていた。
そんな彼女を、フーゴは責めるつもりは無かった。
もとより、彼女とはじっくりと向き合っていく覚悟をしている。
「やあ。約束通り、また来たよ。」
フーゴは、精一杯の親しみをこめてシルヴィアに話しかけた。
ウルタニアを取り巻く状況はまだ変わってはいないが、このごろのフーゴは心に落ち着きを取り戻していた。
「・・・。」
シルヴィアはちらりとこちらを見て、すぐに目をそらした。
「元気にしていたか?何か足りないものがあったら、遠慮せずに言ってくれ。」
「金。酒。」
「分かった、用意しよう。どれくらい必要なんだ?」
「・・・なんなんだよ、あんたは。」
シルヴィアは深いため息をついた。そして、少し困ったような表情でこちらを見た。
「あたしと一緒にいて、楽しいか?調子が狂うんだよ、あんたといると。もうあたしにかまわないでくれ。」
「しかし、私はこの街の領主だ。君を立ち直らせる義務がある。」
「ああ、そうかよ。あたしは立ち直る気なんかこれっぽっちもないんだ。だから、もうここには来るな。」
シルヴィアは、静かに、しかし徐々に語気を強めながらそう言った。
その言葉は、彼女が心の内に秘めている、何かの悲鳴のようなものの漏出のように、フーゴには感じられた。
「・・・シルヴィア。」
小さく息を吸い込んでゆっくりと口を開き、低く重い声で言った。
シルヴィアは少しうろたえたようだが、次の瞬間にはまた不機嫌にまゆをひそめていた。
フーゴは、シルヴィアからぴくりとも視線をずらさなかった。
「何度も言うが、私はここの領主だ。何十万人の人々を守っていかなければいけない。シルヴィア、君一人救い出せないような人間が、彼らの生活を守っていけると思うか。」
シルヴィアは何か言いたげ口をとがらせたが、気にせずに続けた。
「君に何があったのかは私は知らないが、このまま道端にずっと居られたのでは、私が困る。街の治安のこともあるが、なぜか君を救わねばいけないような気がしてな。気にかかって仕方がない。」
フーゴはそこまで言ってから少し恥ずかしさを感じ、視線を外して頭をかいた。
再び彼女に視線を戻すと、シルヴィアは横を向いてうつむいていた。
いつもの彼女は反抗的で粗暴である。しかし、今のシルヴィアは少し違った雰囲気をまとっているような気がした。
フーゴは、そうした彼女の時折見せるかげりのある表情も気になった。おそらく、何か大きな事情を抱えてウルタニアにやってきて、ここに座っている間にも様々な葛藤があるのだろう。
「そうだ、君にこれをやろう。」
フーゴは思い出したようにポケットから指輪を取り出した。
「指輪?」
「ああ。本当は金をやればいいのだろうが、フランツ家は貧乏でね。もらい物の装飾品なら余っているから、君にやろうと思って持ってきた。」
「わりいけど、すぐに売るぜ?」
「もちろん。私もそのつもりで持ってきている。」
指輪には青いメノウ石がほどこされている。価値としてはそこそこのものだ。市民が見ても珍しいというものではない。それほど、ありふれたものだった。
確か、ウルタニアのさらに南部の州、サンタニアの南の果ての荒野地帯に発見されたメノウ鉱山の利権を得た大商人が、挨拶代わりに持ってきたものだったと覚えている。
これほどきれいに発色したメノウも珍しいと、その商人は言っていた。
宝石のことは良く分からないが、他のメノウと比べてもきれいなことは分かる。
本当は、もっと高価で美しい宝石をプレゼントしたかった。ブルーサファイアやエメラルドといった他の宝石が澄んで輝いているのに対して、メノウは不透明で、輝きも鈍かった。
女性へのプレゼントとしては良いものではない。
「きれいかな?メノウにしては良い品らしいが。」
フーゴは少し不安になって、シルヴィアにたずねた。
「さあな。まぁまぁってとこじゃないの。」
「そうか。」
すぐに売るつもりなのだろう。シルヴィアは興味無さげにそう言って、無感情に指輪を受け取った。
もうじき7月である。
薄暗い路地を抜ければ日差しが強く、じわりと汗がにじんでくるほどの暑さだった。
昨日まではそうでもなかったが、今日は打って変わって夏日である。おそらく、これから9月まではこういった暑い日が続くことだろう。
ゆるく暖かい風が、二人の間を吹き抜けていった。
二人のいる路地裏は住宅が入り組んでいて日陰が多く、すずしかった。
「落ち着くな。ここは。」
「だから居るんだ。」
フーゴは、塀にのしかかるシルヴィアの横に座った。ひやりとした石畳が気持ちいい。
「・・・なんだよ?」
何も言わずに隣に座ったフーゴを、シルヴィアが怪訝に見た。
そして、居づらそうにして腰をずらし、少し距離をとった。
「城にいてもここほど落ち着きはできないだろうな。少し話でもしないか?」
「別に話すことなんてねーよ。」
「じゃあ、聞いてくれていればいい。」
「あんたなぁ・・・。」
シルヴィアはため息まじりに言った。
「なんだ、だめなのか?」
「だめとは言わないけど」
「じゃあ、いいだろう?聞いてくれ。こういう立場になってしまったからにはしょうがないだろうが、何気ない話を出来るような話し相手が居なくてな。」
「・・・。」
それからしばらく、フーゴは、思いついたことを思いついたように喋った。
初めは天気の話だったり市民たちの噂話だったりしたが、段々と愚痴や文句といった感情も混じっていった。
シルヴィアは、たまにあいづちを入れる程度で、ほとんどの話を聞き流していた。
思えば、今までこんなに風に俗に会話をしたことは無かった。
父は厳格な人で、周りの同年代の少年たちと話すのは毒だと言って許さなかった。そのために、幼いころから話し相手は執事くらいで、常に過剰な英才教育の監視下だった。
支配者になった今では、余計に人の悪口など言えなくなったし、人前で弱音など吐けなかった。
30分ちょっと話すと、やがて話題が尽きた。
気づけば、自分の立場すら忘れて話に熱中してしまっていた。
「・・・そろそろ城に戻ろう。」
フーゴは立ち上がった。熱中の余韻がまだ残っている。
「時間があったら、またここに来てもいいかな?」
「・・・勝手にしろよ。」
ちょっと間が開いてから、シルヴィアがそう言った。
聞き疲れたのか、否定する気力もないといった感じであった。
「・・・物好き野郎。」
城に向かって歩き始めたフーゴの背中越しに、シルヴィアがつぶやいたのが聞こえた。
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翌日、陽が空高くのぼり始めたころ、フーゴの姿はウルタニアの街中にあった。片手には花束が握りしめられている。
巡察ではない。
「また来たのかよ。飽きねぇ奴だな。」
いつものように路地裏に座り込んでいる彼女の前にフーゴが現れた時、シルヴィアは吐き捨てるように言った。
「あらためて、昨日のお詫びがしたくてね。」
「なんだよ、それ。」
シルヴィアは目線で花束をさした。
昨日執事と相談して、手土産にと思って持ってきたものだった。シルヴィアから情報を聞き出すために、少しでも彼女の機嫌を取っておきたかったのだ。
「プレゼントさ。」
「・・・趣味じゃねぇよ。」
「うむ・・・。やはりそうだったか。しかし、受け取ってほしい。」
「こんなもん、何に使えばいいんだ。」
「眺めてみるとか、匂いをかいでみるとか。それが嫌なら、花占いとかはどうだ?」
「なめてんのかよ。」
ふっ、と、シルヴィアは笑った。苦笑いだったが、彼女が見せた初めての笑顔だった。
「まぁ、いいさ。受け取っておいてやるよ。」
「そうか!うれしいよ。」
シルヴィアに花束を渡した後、フーゴはあらためて彼女に向き直り、本題を切り出すことにした。
「それで、シルヴィア。聞きたいことがあるんだが・・・。」
「なんだよ。」
「ナスティ公が謀反をたくらんでいるという噂を、君は知っているか?あれは本当なんだろうか。」
「・・・なんであたしに聞くんだ。」
ナスティ公という名前が出ると、シルヴィアの表情はとたんに険しくなった。
彼女の機嫌が悪くなったのは明らかだったが、しかし、フーゴもいまさら引き下がるわけにはいかない。
「君は王国に反対している活動家なんだろう?知らないのか?」
「知るかよ、そんなもん。」
シルヴィアは突き放すように言った。
「ぶしつけなことを聞くようですまないが、頼む。知ってることがあれば何でもいいから教えてくれ。この街を守るためなんだ。」
「この街を守る?」
「そうだ。もし本当だと言うのなら、ナスティ公の圧力を防ぐ手立てがない!」
フーゴは、必死だった。これで彼女が口をつぐむなら、ナスティに向かった側近が戻るまで情報を待たなければならない。軽く見積もって一、二週間はかかるだろう。
だが、そんなフーゴの現状を知ってか知らずか、シルヴィアはため息まじりに口を開いた。
「バカな野郎だな。こんなとこ、誰も攻めないよ。」
「何!?」
「どうせやつらが狙ってるのは、ペルシャナだろ。ウルタニアは関係ない。」
「・・・そうか。そうだったのか。」
その言葉を聞いて、フーゴは急に肩の力が抜けた。目の前にせまってきていた巨獣のようなものが、突然霧になって空に消えていってしまったようだった。
「よかった。ウルタニアは関係がないのか。」
「・・・あきれたやつ。」
シルヴィアは、相変わらず不機嫌そうにそう言い、フーゴの顔の前に手のひらを突き出した。
「何だ?」
「情報料、よこせよ。」
「聞いてないぞ。」
情報料くらいなら素直に渡してもいいが、それでは不満があった。
たしか、以前もシルヴィアには金を渡したことがあるはずだ。しかも、この前はお詫びと言うことで高価な装飾品をやっている。フーゴとしては、彼女にみつがされているような気分だった。
「前も、その前も金や貴金属を君にやったじゃないか。それはどうしたんだ。」
「ああ?飲んだに決まってるだろ。もう金がねーんだよ。」
「馬鹿な。」
最初にやった3000zはともかく、その次にやった金細工のブローチは、売れば軽く一、二ヶ月も生活できるほど高価なはずだ。
「なぜすべて使い切ったんだ。あれを元手に立ち直ろうとは思わなかったのか?」
「うるせぇ。もう飽き飽きなんだよ。そういうのは。」
シルヴィアは力なく言った。
彼女は本当に活動家なのだろうか。
フーゴは、そう疑問に感じた。
何よりも、彼女から志が感じられなかった。強力な統制下にある王国内で反政府活動を起こすくらいなのだから、彼女は相当な志を持った、芯の強い人物なはずである。指名手配程度でへこたれることは無いはずだ。
しかし、今ではこうして、ただただ絶望に打ちひしがれているように見える。
お人よしのフーゴは、彼女を何とか立ち直らせてやりたくなった。そうしなければ、腹の虫がおさまらなかった。
「・・・前の十倍の30000zほど置いておこう。これだけあれば、したいようにできるだろう?」
「ああ、飲むには十分だ。」
「一週間後、また来るよ。その時には、君が立ち直って、ここから居なくなっていることを望む。」
「・・・。」
彼女は、何も言わなかった。
フーゴもあえて何も言わずに、その場を去った。
――― 彼は、帰った。
目の前には10000z紙幣が三枚重ねて置かれている。
空を見ると、すでに夕暮れである。
(何なんだよ。)
シルヴィアは紙幣を手に取ったが、素直にそれをポケットにねじ込むような気にはならなかった。
彼は、また来ると言った。そして、それまでにシルヴィアが立ち直っていることを望む、とも。
(そんなの、あたしの勝手だろ。)
心の中のもやを打ち消そうとして、そう自分に念じてみた。が、相変わらずもやが晴れることは無かった。
ふと、横においてある花束が目に入った。
花をもらうなんて、何年ぶりだろうか。たしか、最後にもらったのは母が生きていたころだから、17年くらいは前だろう。
シルヴィアは、何となくそれを手に取った。
赤や青、黄色のあざやかな花々が、たくさんの白い小さな花に囲まれている。匂いをかいでみると、強い独特な芳香が鼻を刺激した。
しばらく、花をいじくっていた。どれくらいの時間がたったかは分からない。
辺りには夜の闇が広がり始めている。
暗い路地裏に、一人だった。別に寂しくは無い。
小さいころに家を飛び出してから、ずっと一人で生きてきた。
他人とかかわる気はないし、もう慣れっこである。
(・・・飲もう。)
シルヴィアは、やっとふんぎりがついて、目の前の金を取った。そして、すぐにそれを使うというのに、きれいに折りたたんでからポケットにしまった。
ひっそりとカウンター置きましたw