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一滴、また一滴と、水のしたたる音がどこからか聞こえてくる。
じめりとした空気。暗がりにぼんやりと浮かぶ無機質な鉄格子の向こうには、湿った石壁が見えた。
アマンダス王国の首都「ペルシャナ」の地下である。百万の臣民が暮らすと言われる華やかな都市の下には、死刑か終身刑を受けたものが投獄される地下牢があった。
ウルタニアで捕らえられたシルヴィアは、この地下牢の一室に閉じ込められていた。
朽ちかけた木のベッド、土ぼこりを被ったシーツ、朝晩の黒パンと薄いミルク。ここで彼女に与えられたものは、それだけだった。もっとも、彼女にとっても、死を待つ部屋でそれ以上に必要なものなど無かった。
(終わってみれば呆気ない人生だったな・・・。)
シルヴィアはベッドに腰掛けて壁を眺めながら、そう自嘲した。
辺りは不気味なほどに静かである。
ウルタニアで捕らえられてから、もう数ヶ月かは経っただろうか。自分がこのまま地下牢で朽ち果てるように死んでいくのか、あるいは何らかの方法で死刑に処されるのかは分からない。しかし、この永遠にも思えるほどの長い時間の中で、そのどちらにせよ受け入れる覚悟は出来ていた。
(でも。)
――― もう一度だけでいいから、ウルタニアに行けたら・・・。
そう思うと、シルヴィアの胸は激しく痛んだ。
自分が今まで生きてきた道程は、荒涼としたものだった。幼い時から他人の愛情を受け取ることも出来ず、与えることも無いまま、孤独に生き抜いてきた。
そんな中で、自分を初めて救おうとしてくれた人が彼だった。ごく短い期間ではあったが、彼のために働けた数日は幸せだった。今までの人生の中で、あの辺境の小さな街での日々と、彼と過ごした数日間の日常が、一際強く輝いて思える。
もう一度、彼に会いたい。声を聞きたい。それだけが彼女の唯一の悔いになっていた。
結果として、彼は自分の身柄を引き渡しはしたが、それを裏切りだとは思わなかった。ウルタニアを守るためには、自分を犠牲にするほかに無かったのだろう。それを思うと、自分の死も使命であるように思える。
(あいつの・・・。フーゴのために、あたしはここで死ぬんだ。)
シルヴィアはそう心に念じて、胸の痛みを抑えた。
その時、廊下から足音が聞こえてきた。晩の食事にしては早いと思い、彼女はいぶかしんだ。ほのかな松明の光もゆっくりとこちらに近づいてくる。
現れたのは、灰色のゆったりとした服に身を包んだ男だった。目の辺りまで深くフードを被り、顔を確認することは出来ない。
男は鍵を出して彼女の牢の扉を開け放ち、ためらいも無く中に入ってきた。
シルヴィアはベッドから立ち上がって身構えた。胸の鼓動が早まる。この男は何者なのか、何をしようとしているのか、見当もつかなかった。
「シルヴィア。」
その声を聞いて、シルヴィアは呆然とした。
望んでも、もう二度と聞くことないだろうと諦めていた、その声だった。
「フーゴ・・・。」
無意識のうちに、溢れるように涙が流れた。
男はフードを取り払い、彼女のすぐ目の前まで歩いてきた。そして、ゆっくりと腰に両腕を回し、彼女を抱き寄せた。
シルヴィアは何の抵抗もせずにそれを受け入れた。
その数ヶ月の後、ヒルン共和国と王国に反旗を翻したナスティ・ウルタニア両公の連合軍と、王国側との
戦争が始まった。”ある龍の力”を巡る二つの陣営によるこの戦いは、後に「力を求める人間の果てしない
欲望と傲慢が生み出した醜い戦い」として語られることとなる。
ウルタニア公「フーゴ・フランツ」はこの激動の時代の中で、王国との戦争と、復活した”龍”の討伐という二つの戦場を駆け抜けた。その傍らには、彼の片腕として活躍した一人の女性ハンターの姿があったという。
■ 指名手配の女・終
<<<前話<<<最初から読む>>>
そのまま城を出た二人は、街路樹が整備された城の外周を回って、東側の裏口へと回った。そこを出るとすぐに、ヒルコン川に面した港になっている。倉庫が並ぶその先には石で固められた護岸があり、穏やかに波打つ水面が見えた。
この辺りには、避難の順番を待つ市民が行列を作っていた。騒々しい雑踏の中に、人々に指示を出す兵士の怒号が混じって聞こえる。
二人はすれ違う人々を避けながら歩き、人影の無い場所に着いた。付近は漁師が使う小船が数隻置いてあるだけあり、閑散としていた。
石畳の斜面となっている護岸の前で、二人は止まった。川から吹き上げる強い風に、シルヴィアの髪はさらさらとなびいていた。
「何?話って?」
顔にかかる髪を掻き寄せながら、彼女が切り出した。
フーゴは、彼女の単純な問いに即答できなかった。心臓は千切れそうなほど激しく脈打っており、先ほどからはこみ上がるような吐き気すら感じる。
(・・・何を話せばいいんだろうか。)
彼女をニノンに引き渡す今、これが彼女との最後の会話になるだろう。
フーゴは深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。そうして気を落ち着かせて、水平線から横に居る彼女へ視線を移した。
「これからウルタニアはどうなるか分からない。」
シルヴィアは黙って頷いた。
「いや、ウルタニアだけでなく、この世界すべてと言う方が正しいかもしれない。
君の言う黒龍の復活が本当であれば、この大陸に未曾有の事件となるだろう。数百年前の黒龍事件のことは詳しくは知らないが、その時には恐ろしいほど多くの人命が失われたと聞く。今回もおそらくそうなる。
そうでなくても、王国と共和国の対立は決定的なものとなっている。この街もすぐに戦乱に巻き込まれるだろう。」
フーゴが話す間、彼女は相槌をはさむことも、頷くこともしなかった。ただこちらを見て、フーゴが言おうとしていることを探っているようだった。
その時、倉庫の影から一隻の小船がこちらに向かってくるのが見えた。彼女との別れが近づいている。
「・・・これからは強く、自分を持たねばいけないと思う。自分を守るためだけでなく、守らなければいけないもののためにも。
激動の時代が来るだろうが、君も、私も、強く生き抜くことを祈っている。」
「フーゴ・・・っ!!」
シルヴィアは目をそらし、自身のこめかみに突きつけられたボウガンの矢じりを見た。二人の背後から音も無く忍び寄ったニノンが、彼女にボウガンを突きつけていた。
「そこまでよ。」
ニノンの冷たい声が、やけに大きく聞こえた。一瞬の静寂が辺りを包む。
「・・・そっか。ここまでギルドの手が回ってたんだ。」
「すまない。この街を守るためには、こうするしかなかったんだ。」
「いいよ。
・・・フーゴ、迷惑かけたね。あたしのこと、どれだけ信じてもらえてたかは分かんないけどさ。でも。」
シルヴィアは真っ直ぐにこちらを見た。その目が燦々と降り注ぐ太陽に照らされてきらりと光ったのは、そこに涙を湛えていたせいだろうか。
「それでもあたしは、あんたと出会えて良かったと思ってるよ。」
フーゴは、彼女の言葉に心を貫かれたような気がした。彼女がどれほど自分を信頼してくれていたのか、その一言で思い知らされたように感じたのだ。
出会って間もなく、道端に座って話し込んだときの彼女の横顔。幽閉された自分を助けてくれたときの少し照れたような微笑。公務室、夕空とヒルコン川を背景に、風にたなびく銀色の長髪。鋭く挑発的な赤い眼。白い頬。
すべてが連続的に脳裏に投影され、フーゴはこの期に及んで、彼女をたまらなくいとおしく感じた。その大切な存在が、今、彼の手から滑り落ちようとしている。
先ほどの小船が護岸に横付けされ、そこから数人の武装した集団が現れた。その集団に囲まれて、ボウガンを突きつけられたまま、シルヴィアは船の中に導かれようとしていた。
「待てっ!!」
フーゴは叫んだ。シルヴィアが驚いたように振り向き、こちらを見た。
「何用ですか?」
同時に振り返ったニノンが、ボウガンをこちらに向けた。今までの彼女とは違った冷酷な雰囲気が感じられる。こちらを見据えるその眼差しも、まるで鋼鉄のように硬質なものだった。
フーゴは彼女に気圧されて言葉を失ってしまった。そのうちに、彼女を乗せた船は護岸を離れ始める。
「違うんだ・・・。」
――― 私は君を信じている・・・。
すぐにシルヴィアの姿が脳裏に浮かんだ。それは、路地裏の街路樹の下、土ぼこりで汚れたローブ姿でたそがれる彼女だった。
フーゴは、まだシルヴィアを信じたいと思っていた。今も彼女は、フーゴとこの街のために最前線で戦っている。そんな彼女を裏切ることは、自分個人としては考えたくも無いことだった。
しかしフーゴの判断は、決して自分だけのものでは無かった。この街を守ることだけを考えると、シルヴィアを裏切ってでもニノンと手を組むのが最善だった。街中まで多数のゲネポスが散らばった今、シルヴィア1人が居たとしても市民の被害を防ぐことは出来ない。しかし、十数人のギルドナイトであればそれが出来るだろう。
考えれば考えるほど、胸の締め付けが強まった。市民を守るためには、シルヴィアを見捨てるという選択肢を取るしかないように思えた。
しかも彼女には、共和国と裏で繋がっているという疑いがあった。疑いというだけで確証は無いが、しかしそうでないという反証も無い。そうなれば、自分の”とらなければいけない道”は決まっていた。
「・・・分かった。昼に彼女を船着場に連れて行く。」
「ありがとうございます。フーゴ殿ならご理解いただけると信じておりました。」
ニノンはすぐに表情を緩め、彼女がよく見せる優しい微笑みを浮かべた。
「しかし、一つだけ約束してくれ。」
「なんでしょうか?」
「絶対に、市民たちから一人の死者も出すことなく、すぐ元の生活に戻れるようにゲネポスを退治してくれ。」
「それは、もちろんでございます。」
再び顔を引き締めたニノンが、頷きながら言った。
護衛の兵士は、何とかゲネポス一匹を仕留めていたようだった。共に城へと戻ると、じきに夜が明けた。
この頃になると敵も疲れたのか、街中に響いていた鳴き声はポツポツと聞こえるのみになっていた。もっとも、疲れはこちらも同じだった。太陽が地平線から完全に姿を現すと、グラニコスを始めとする街中に配置されていた兵士が、体勢を整えるために続々と城に引き上げてきた。
兵士の被害は負傷者が数十名と、死者が7名。西側の防備に早いうちから見切りをつけた成果もあって、市民からの死傷者は無かった。しかし、500名ほどしかいない兵士に対して、この被害は決して小さいものではなかった。改めて、独力で市民を守りきることの難しさを感じた。
引き上げた兵士の中に、シルヴィアの姿もあった。彼女は城の1階の兵士詰め所の長机で、顔や防具に付いた血を拭い取っていた。
フーゴが部屋に入ると、彼女はすぐにこちらに気づいたようだった。彼女に話しかけるのは気が重かった。
「どうしたの?疲れた?」
「・・・あぁ、少し疲れたよ。」
「ふふ、そうだろうね。」
濡れた布切れで顔をこすりながら、シルヴィアは少し笑った。そして、横に置いた木桶の水に布切れを浸し、きつく絞った。木桶の水はほんのりと赤く染まっている。
布切れを軽くたたんで机の上に置いた後、彼女はこちらを向いた。
「群れは何匹かのドスゲネポスに率いられてるみたい。あたしが探し出して、1匹ずつ仕留めるよ。」
「・・・うん、そうか。」
「・・・フーゴ、なんかあった?」
シルヴィアが、いぶかしげにこちらを覗き込んだ。心配したようなワインレッドの瞳と目が合う。その瞬間、フーゴは締め上げられるような胸の痛みを感じて、慌てて目をそらした。
(――― 私はウルタニアの領主だ。街を守るためには、どんな手段でも使わなければいけない・・・!)
フーゴは自らを励ますように、心の中で念じた。しかし、胸の痛みが和らぐことは無い。硬く強張った口元を動かして、何とか言葉をひねり出した。
「・・・シルヴィア。少し、話したいことがある。ついてきてくれないか?」
「うん?いいけど。」
シルヴィアは立ち上がり、何の疑いも持たない様子で、フーゴに続いて部屋を出た。
<<<前話 次話>>><<<最初から読む>>>
フーゴの前に立った"ドスゲネポス"は少しの間、こちらをなめまわすように眺めていた。そして、ゆっくりと右足を前に出す。
その後突然に素早い動きとなって、鳴き声を上げながらこちらに噛み付いてきた。
―― ギャァァッ!
フーゴは横に飛んだ。肩のすぐ横を、握り拳ほどある大きな犬歯がかすめていく。すんでの所で攻撃をかわした彼は、そのまま転がるように倒れこみ、すぐに手をついて立ち上がった。
振り向くと、目の前に鋭い爪が迫っていた。反射的に尻もちをつくようにして避けると、そのすぐ後に頭上を爪が切り裂いた。
持ちかけた剣は、既にどこかに落としてしまっていた。仰向けに倒れこんだ身を翻し、四つんばいになって必死にドスゲネポスの足の間から這い出た。
一瞬の予断も許されない状況なのは、考えなくても分かった。少しでも行動に迷いがあれば、すぐに敵の餌食になってしまうだろう。フーゴは思考を完全に止め、直感に身を委ねていた。付き添いの兵士はこちらの危機に気づいてはいたが、彼もゲネポスと対峙しており、余裕があるわけではなかった。
なかなか捕まらない獲物にイラついたような低い呻き声を上げたドスゲネポスは、すぐにこちらに向き直った。長い尻尾が大きく振れる。その眼は常にこちらを捉えて離さないように思えた。
(どうする?)
距離を取ることに成功したフーゴは、ドスゲネポスの突き刺すような眼差しを見返しながら思考した。このまま東に逃げたのでは、市民も避難する地区に敵を導いてしまうことになるかもしれない。どこかで敵をまいてから逃げなければならなかった。
ドスゲネポスは相変わらず呻き声を上げたまま、こちらとの間合いをはかっているようだった。
いくら思考しても良案は浮かばなかった。俊敏な相手から逃げ切れる自信はない。額からはとめどなく汗が流れ落ちていたが、暑さというよりはむしろ震えるような寒さを感じた。
「お困りでしょうか?」
背後、正門側から、この場にそぐわない女性の柔和な声が聞こえた。フーゴも、ドスゲネポスも、全く気配を発せずに現れた彼女に驚き、そちらを見た。
そこにいたのは、白いワイシャツに赤いベストとフリル付きのスカートを身につけた女性――― ニノンだった。その右手には、2本の小剣が握られていた。真っ直ぐに伸びた美しい刀身が、鈍い月明かりに輝いている。
「君は、ここに居たのか!」
「ええ、そうです。
お退きください。私が相手をいたしましょう。」
凛とした眼差しに気圧されたフーゴは道を開けた。ドスゲネポスも彼女を警戒すべき敵として認識したようで、視線をそちらに移して低く構えている。
フーゴの前に立った彼女は、両腕に剣を持ち替えた。その後姿をはっきりと捉えていられたのは、一時だけだった。跳躍した彼女は、反応する暇も与えないまま一瞬で距離を詰め、ドスゲネポスの首筋を切り裂いた。
右手の剣から一太刀浴びせたかと思えば、次の瞬間にはひらりと回転し、左手からもう一撃を加える。その剣もよほどの切れ味を持っているのか、何の抵抗もなくドスゲネポスの皮膚の中へと入りこみ、綺麗な直線の切り口を作り出していた。
フーゴは言葉を失ってその光景を眺めていた。戦いというよりは、「舞」を見ているような気分だった。舞と違うのは、徐々に彼女のワイシャツに赤いものが増えていくことと、舞の相手が反撃も許されずに苦しみの声をあげていることだった。
やがてドサリと重い音がして、ドスゲネポスが地に崩れた。全身の傷や口からだくだくと血を流し、眼を見開いたまま絶命した敵に、フーゴは憐れみさえ感じた。
ドスゲネポスの横に立ったニノンは、点々と返り血を付けた顔をこちらに向けた。
「フーゴ殿。船着場に私の仲間が十数人、待機しております。私達がこの街をお守りすることが出来ます。」
「本当か!それは助かる!!
お願いだ、ウルタニアと市民を、ぜひ守ってくれ。」
「それは、もちろんですわ。しかし交換条件があります。」
「・・・交換条件?」
ニノンは改めてこちらに向き直り、ことさら真剣な眼差しでこちらを見た。
「シルヴィアを、こちらにお差し出しください。
ためらいますか?フーゴ殿。この街の安全と、一人の女性と、どちらを取ればよいのかは、明晰で責任感に溢れるあなたならすぐにお分かりいただけますでしょう?」
<<<前話 次話>>>
群れが見え始めてから城壁に達するまでは、間もなくだった。
一際大きいドスゲネポスに率いられた数匹が篝火の向こうに現れたとき、フーゴはグラニコスから後方に下がるように忠告された。
兵士達はカチャカチャと音を立ててボウガンに弾を込め、城外に標準を合わせている。自分の居場所は無いようだった。
フーゴは1人の兵士を伴い、城壁の階段を早足で降りた。その最後の一段からインドラ通りの石畳に足を降ろしたとき、城壁から無数の破裂音と、それに続いて空気を切り裂く音が聞こえてきた。
戦いが始まったようだった。
東西に篝火が焚かれ、両側の夜空は赤く染まって見えたが、この通りには何の明かりも無い。月明かりのみである。通りの家も、街並みも、輪郭以上にははっきりとしない夜闇に包まれた中、フーゴは城へ向かう足を速めた。
底知れぬ緊張と不安で、胸が押しつぶされそうなほどに締め付けられる。剣術も体術も持たない彼がゲネポスと出会いでもすれば、その先に待つのは死のみだった。
後ろからグラニコスの怒号が聞こえた。彼の指示で兵士達は城壁の守りを放棄し、街中に散らばり始めたようだった。
いよいよ、群れの鳴き声が城壁を越えてきた。
敵の足は、思っていたよりもずっと早かった。彼らが正門と城の中間辺りまで達した時、既に周囲には甲高い鳴き声が溢れていた。
先ほどから不吉な予感を感じ、じっとりとした冷や汗が額や背中に張り付いていた。フーゴがそれを敵の気配だったと気づいたのは、目の前にそれが現れてからだった。
―― キシャァッ!
肉屋の店先から飛び出してきたゲネポスは、すぐにこちらに体を向けて身をかがめた。大きく開いた口の奥を揺らし、威嚇するような声を上げる。
1歩、後ずさったフーゴを庇うようにして、兵士が剣を構えた。フーゴも腰の帯刀に手を伸ばす。
その時、彼のすぐ背後からも、すっかり聞きなれてしまった鳴き声が響いた。フーゴは素早く振り返り、そして目を見開いた。
「なんということだ・・・。」
フーゴは、帯刀の柄に手を載せたまま、自分よりもずっと上にある橙色の眼を見つめた。その眼も、はっきりとこちらを捉えているようだった。
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鉱石門の守りは、確かに薄かった。付近の城壁は城壁と言うよりも塀を少し立派にしたようなもので、シルヴィアの背丈よりも少し高い程度のものだ。この程度の高さならば、ゲネポスもすぐに飛び越えてくるだろう。
城壁の上には応戦できるような空間も無いため、すぐに市街戦を行うか、城外で戦うほかに無かった。他の兵士やハンターたちは城壁のすぐ後ろに台を作ってのぼり、まずはそこからボウガンで戦う構えを作っていた。
シルヴィアは、1人、門の外に立っていた。この場所は、5~6人が並んで歩けるほどの道になっている。両側は盛り土してあり、その上は乾燥した草むらとなっていた。
自分がここに立つことで、少しでも多くのゲネポスを引き付けたいと思っていた。
北西に向いた正門と違って南側のこちらからはゲネポスの群れは見えないが、彼らの鳴き声だけは不気味に響き渡っていた。
(・・・ゲネポスぐらい、いくら来たって平気だ。)
シルヴィアは、自身に言い聞かせるように呟いた。
ハンターとしてモンスターを狩ることは久しぶりだ。以前と同じように体が動くかどうか心配だったが、それでもゲネポスの群れ程度に後れを取るつもりは全く無かった。
彼女は背中にかけられたアイアンソードを手に取った。ずっしりと重い鉄の柄からは、ひんやりとした無機質な感触が伝わってくる。
両手に持って構え、その刀身をゆっくりと眺めながら、シルヴィアは苦笑した。刃は輝きを全く発せず灰色にくすみきっており、剣先に近い部分には大きな丸い刃こぼれがあった。目先まで持ってきて水平にしてみると、先端に向かうにつれ刀身が微妙に反れているのが分かる。彼女が駆け出しの頃に使っていた武器も同じアイアンソードだったが、それよりもずっと粗悪なものだ。
もっとも、相手の弱さを考えればこれでも十分な武器ではあった。
そんなことを考えているうちにも、夜空に響き渡る鳴き声は大きさを増していた。
左側に気配を感じ、シルヴィアはアイアンソードを構えなおした。ゲネポスが相手といっても、久々の狩りに心臓は高鳴った。息を整え、気配がした草むらに目を凝らす。
辺りに響いている鳴き声を頭の中から消去し、微風でそよぐ草音に集中した。
刹那の時が流れる。
――― ギャアァッ!
シルヴィアが睨んでいた草陰の向こうから、黄土色の塊がこちらに飛び込んできた。大きな口を開き鋭い牙と爪を月明かりに輝かせたそれは、現れると一瞬で彼女の目の前まで到達していた。
だが、その牙にしろ爪にしろ、彼女に触れることはなかった。
ゲネポスの姿を確認するのと同時にアイアンソードを振り上げた彼女は、その頭部を、恐ろしく的確な斬撃で真っ二つに切り裂いた。剣の切れ味のせいか、首元で刃は止まっている。
シルヴィアは、自分の髪、頬、首、手に生暖かい血が次々に跳ねてくるのを感じた。もっともそれは感じるだけのことであり、特別な感情を呼び起こすようなことは無い。
アイアンソードを振り下ろしきると、その勢いで地面に叩きつけられたゲネポスは、ようやく剣先から解放された。どくどくと流れ出る血が、既に地面に染みを作り始めている。
最初の1匹を始末すると、後続はすぐに現れた。
2、3匹と同時に飛び掛ってくるそれの攻撃をかわしながら急所を狙ってアイアンソードを繰り出しているうちに、シルヴィアはいつの間にか十数匹のゲネポスに囲まれていた。
(・・・ちょっと、マズイかも。)
戦いながら彼女は、徐々に焦りを感じ始めていた。
もう何匹のゲネポスを斬ったか分からない。少しづつ、彼女の動きは鈍ってきていた。武器の悪さに加えて今までの怠惰な生活が、想像以上に彼女の体力を低下させていた。
腰を落として爪を避け、そのままゲネポスの喉元にアイアンソードを突き入れた。減っていく彼女の体力とは対照的に、敵の数は増え続けている。
(まったく、あたしも鈍ったもんだな。)
以前の自分であれば、この程度で疲れを感じるようなことは無かったはずだ。
シルヴィアは、相変わらず絶え間なく突き出される爪と牙を避け続けながら、この場から脱出する方法を考え始めていた。
<<<前話 次話>>>
フーゴはすぐに城壁へと向かった。
街には半鐘がけたたましく鳴り響いている。この半鐘が鳴れば、市民はウルタニア城と船着場のある街の東側に避難することになっていた。市民を守りやすくするためだ。兵士もその地区に集中的に配備し、急ごしらえだがバリケードも設置して道々を封鎖してある。
往来は非難する市民で溢れかえっていた。彼らの中には身一つの者も居たが、多くは多少の家財を持ち抱えていた。すぐにはウルタニアに戻れないことを覚悟してのことだろう。
ウルタニア城から真っ直ぐにインドラ通りを降ったところに、正門がある。この付近の城壁は、ウルタニアでは一番高くなっている。いつも通りに歩けば2、30分ほどかかる道程を、フーゴは10分もかけずに走りきった。
正門の上の見張り台に続く階段を登りきると、城外に煌々と焚かれた篝火のずっと向こうに、うごめく影が見えた。ぎゃあ、ぎゃあという甲高い鳴き声が小さく聞こえてくる。影は重なり合って、一体となって見えていた。まとまりはこちら向きに鋭くとがっており、おそらく群れのボスとなる存在が先頭を走っているのだろう。
立ち尽くすフーゴの下に、数名の兵士と2名の地元ハンターを従えたグラニコスが近づいてきた。
「いよいよですな。
城壁全体には200名の兵士を配しております。まずボウガンと投石で城壁上から応戦し、城壁が破られた時点で市街戦に移る予定です。物陰などを利用してボウガンと剣で戦い、奴らを撹乱しながら少しづつ数を減らしていくのです。」
グラニコスは片手に持ったボウガンを掲げて見せた。フーゴにはそのボウガンの名前までは分からなかったが、木と鉄、それに竜骨と呼ばれる素材から出来た、よくある簡素なボウガンだった。
フーゴは頷いた。ナスティへの避難を決め込んだ今なら、ゲネポスとまともにやりあって損害を大きくする必要は無い。避難までの数日、時間が稼げさえすればいいのだ。
フーゴとグラニコスが群れの様子を眺めていると、シルヴィアが階段を駆け上がってきた。
先程までのローブ姿ではなく、「ハンターシリーズ」と呼ばれる防具を身につけている。レギンス、肩当て、胸当て、篭手を厚めの鉄板で固め、それ以外を皮革や麻布でこさえたこの防具は、防御力よりは動きやすさを重視したものだった。軽量で安価なため、駆け出しのハンターがよく用いるものである。
また、その背中には鉄製の大剣「アイアンソード」が帯びられていた。大人ほどの背丈がある武器だが、大剣としてはその大きさは普通だ。これも安価な武器で、重い割に切れ味は悪い。
良い装備とは言い難いが、ウルタニアですぐに用意できるものはこれしかなかった。
「あたしを外に出してくれ。時間くらいは稼いでやるよ。」
シルヴィアが、さも当然であるように言った。重い武器を抱えてここまで駆けてきたというのに、息が上がった様子は全く無い。
「しかし、大丈夫なのか?」
「当たり前だろ。あたしを信じないの?」
ふん、と鼻で笑うのが聞こえた。
いくらシルヴィアがギルドナイトだといっても、この装備で群れに立ち向かえるとは思えなかった。彼女の実力が相当なものであることは分かるが、1人で外に出れば幾十ものゲネポスが覆い被さるように襲ってくるだろう。
「いくらなんでも危険・・・。」
「こちらは私達が守るゆえ、お前は他のハンター2名と共に、南の鉱石門の応援に回ってもらいたい。
あちらの守りは薄い。お前達の力がきっと必要になるだろう。」
シルヴィアを引きとめようとしたフーゴの言葉を遮って、グラニコスが言った。
「そっか、じゃあそうするよ。あんたも気をつけなよ。」
「うむ。おそらくゲネポスは昼には一度休むだろう。日が昇り始めたら、東側の我ら拠点に戻ってきてくれ。」
フーゴは、自分が二人の会話に口を挟むことも、シルヴィアを呼び止めることも出来ないように感じた。二人がウルタニアを守ることのみを考えているのに対して、自分はシルヴィアへの私情まで加味して考えてしまっているように思えた。
ウルタニアには、北西に向いた正門と南に向いた鉱石門がある。鉱石門は南部の鉱床から得られる産品をウルタニアに運び入れる目的で作られたものだが、付近は城壁も低く、防御に向いたものではない。今回もすぐに敵味方入り混じった乱戦が展開されるだろう。
そんな場所だからこそ、彼女の力が必要だった。フーゴも彼女を鉱石門に置くことを考えなかったわけではないが、「危険すぎる場所に彼女を向かわせたくない」という気持ちがどこかに存在し、その結論を避けさせていた。
(彼女のことを考えすぎていたのかもしれないな。私は私である前に、ウルタニアの領主であるべきなのに・・・。)
フーゴは何も言わずに、階段を降りる彼女の後姿を見送った。
篝火の向こうに見える影は着実に近づきつつあり、その大きさを増していた。
その夜、公務室から灯火が消えることは無かった。ぼんやりとした蝋燭明かりの中、フーゴは一人、机に座っていた。
シルヴィアは城内に与えた部屋で休ませている。彼女自身はこの場にとどまることを希望したが、今後のことを考えてのことだった。
ゲネポスと一対一程度ならばウルタニアの兵も良く戦えるだろうが、乱戦となっては分が悪いとフーゴは考えていた。さらに強力なドスゲネポスが相手では、大勢でかかりでもしなければ到底敵わないだろう。
その時、彼女の力が必要なのである。こんなところで彼女を疲れさせたくはなかった。
ふと、ドアを叩く音が聞こえた。慌てたような叩き方ではなく軽く二度ノックする音だったので、緊急の報告だとは思わなかった。しかし、ドアを開けたその顔を見て、フーゴはさすがにうろたえた。
ドアの向こうから姿を見せたのは、ニノンだった。
「フーゴ殿、数日ぶりでございます。」
彼女は飄々とした足取りで、フーゴのすぐ前まで歩を進めた。
フーゴは動揺を隠すことが出来なかった。心臓の脈動が一気に早まり、声を出そうとしても喉がつかえた。
「シルヴィアがあなたの下におられますね?」
ニノンは単刀直入にそう切り出した。その言い方からは確信が感じられる。ごまかしは効かないようだった。
「・・・そうだ。」
それ以上の声を出すことは出来なかった。彼女は別段フーゴを睨みつけていたわけではないが、その全身からは押し込まれるような威圧感を感じた。
「では彼女から黒龍の件についてもお聞きになったと思いますが、残念ながらそれは事実です。しかし王国ではなく、共和国と通じた彼女が、黒龍を復活させようとしているのです。
どうか、彼女を匿うような真似は止めて、こちらに差し出してください。フーゴ殿は、彼女の言葉に惑わされているのです。」
ニノンは嘆願の眼差しでこちらを見ていた。心なしか、先程までの彼女が発していた威圧感が緩んでいるように感じる。
フーゴはシルヴィアを心から信頼していたが、ニノンの言葉に全く動揺しないわけではなかった。彼女から事情を聞くことは出来ていたが、素性まで知っているわけではない。それに、事情にしろ素性にしろ、そんなものは後付けでいくらでも作ることができるのだ。
しかし、だからといってニノンを信じることも出来なかった。ニノンを怪しい女だとは思ってはいなかったが、何よりもフーゴはシルヴィアを好意的に思っていた。出会った時の彼女の生気を失っていた様子や、事情を打ち明けてくれた苦しげな表情もまだ覚えている。
それが嘘だとは思えなかった。
「ここに国王からの親書と、ギルド本部からの手紙がございます。身分も何も分からないような女と王国と・・・。どちらを信じればよいのか、聡明なフーゴ様ならお分かりになるだろうと思いますが。」
フーゴの揺れる心境を見透かすように、ニノンが2枚の手紙を差し出した。1枚は縁取りに青い装飾が入った羊皮紙で、王国の公式文書に使われるものだ。もう1枚はこれもまた羊皮紙だが、比べると簡素なものだった。どちらも大儀な印が押されている。
「これから毎晩、未明の船着場でお待ちしております。彼女を連れてお出でください。黒龍の復活だけは絶対に防がねばなりませんから、そのためにも彼女を捕らえなければならないのです。
そうしていただければ、ウルタニアは王国と、それから私が命を賭してでもお守りいたしますわ。」
伝え終わると、ニノンは少し自信を湛えたような微笑を見せてから、深々と礼をして去って行った。
フーゴは2枚の手紙の字面を少し眺めた後、公務室を出た。手紙の内容は読む前から予想はついていたが、シルヴィアが共和国と通じているということと、彼女の演技に騙されずにこちらに引き渡すようにということだった。
公務室を出て右手の突き当たりにある階段を下りて、1階へと向かう。彼女の部屋は1階にあった。
フーゴは彼女を信じたいと思っていた。そのためにも彼女と話をして、自身に多少なりとも湧いている疑念を解いておきたかった。
なにも彼女の素性を問いただそうというのではない。他愛の無い話をして彼女の人間味を感じるだけでも、この疑念は晴れるだろうと思われた。
彼女の部屋のドアを叩いた。
「シルヴィア、入るぞ。」
言うとほとんど同時に、フーゴはドアを開けた。すると、一陣の夜風がフーゴの身体をすり抜けていった。幾分かの湿り気を帯びて体にへばりつくような、生暖かい風だった。
シルヴィアよりも先に目に入ったのは、開け放たれた窓から今にも飛び出そうとする黒服の男だった。男はこちらを見て、驚いたように目を見開いている。
「誰だ!!」
フーゴが叫ぶと、一瞬の間もなく男の跳躍が見えた。そして、男はすぐに深い闇の中に溶け込んでいった。
シルヴィアに視線を移すと、彼女もこちらを見ていた。フーゴが与えた白い麻のローブに身を包んだ彼女は、部屋の隅にあるベットに腰掛けていた。表情もいつもと変わった様子は無く、冷静な中にも少々のけだるさのようなものが感じられる。
「共和国のスパイだよ。なんでか、あたしにも接触してくるんだ。」
「それは本当か?」
おぼろげな明かりの中、彼女の眉が釣りあがるのが見えた。
「疑ってんの?」
「いや・・。」
フーゴは一応の否定を口にしたが、彼女に対する疑念は晴れるどころかますます濃いものとなったことを感じた。彼女と共和国のスパイとの関係を問いただそうと口を開きかけたその時、騒がしい足音が聞こえてきた。
「ゲネポスの群れが城に迫っております!!」
息を切らした兵士が、廊下で叫んだ。その声は悲鳴と呼んでも良いようなものだった。
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ウルタニアの指揮権を取り戻したフーゴはすぐに市民に避難の準備を始めるように下知し、側近にあるだけの商船と軍船の出港準備をするように命じた。あるだけの船といっても、辺境の都市であるウルタニアに停泊していた商船はわずかに4隻しかなく、軍船にしても小型で、隻数も10を数えなかった。
これでは、一度に数百の市民を移送するのが限度だった。昼夜を分けずしてヒルコン川を往復するにしても、何万という単位のウルタニア市民をすべて移送するには途方も無い時間が必要となる。
対してゲネポスの群れは真っ直ぐにこちらに向かってきており、今夜にもウルタニアに到達するだろうと思われた。その動きに乱れは無く統率を保ったままであり、改めてウルタニアを「獲物」として見据えていることを感じた。
「奴らの足音が聞こえてくるようですな。」
ウルタニア城の公務室では、フーゴとグラニコスが向かい合っていた。フーゴの少し後ろではシルヴィアが腕組みをして窓の縁に腰掛けている。
おそらく今のウルタニアで一番の戦力であり、信頼も篤い彼女をフーゴは護衛のようにしていた。
「そのようだな。まさか今の時代になってモンスターの襲撃を受けることになるとは、考えもしなかった。」
グラニコスは頷いた。その口元は引き締まり、頑固な顔立ちはさらに強張っている。
「避難は、市民の乗り込みが済んだ船から順次出航することになっています。
問題は防備ですが、この街は全体を城壁に守られていると言っても、正門以外では大人二人分の高さもありません。低い部分には急ごしらえの柵を作らせているのですが、到底間に合わんでしょうな。」
「城壁を跳び越えて来るかもしれないということか。
私は実際に見たことはないが、シルヴィア、奴らはこの街の壁を跳び越えられるのか?」
シルヴィアは俯いてウトウトと頭を揺らしていたが、フーゴに声をかけられると動きを止めた。しかし顔を上げはしなかった。
「それぐらい、あいつらなら跳べるだろうよ。柵だってすぐに倒されちまうさ。」
「・・・そうか。ありがとう。」
もちろんフーゴは市街戦となることも想像してはいたが、ウルタニアを囲う城壁がゲネポスを防いでくれるのではないかと、どこかで期待していた。シルヴィアの言葉で、改めて事態の深刻さを思い知らされるようだった。
フーゴは再び正面のグラニコスに視線を戻した。
「柵作りを急がせながら、兵の戦闘準備も整えるようにしてくれ。見張りの者にも今夜は篝火を絶やさず
、奴らが見えたらすぐに知らせるように。
私は、今夜はずっとここに居るつもりだ。」
時刻は既に夕方である。窓からは傾いた日が直接差し込んできて、3人の長い影を作っていた。フーゴは、今までのウルタニア史上に無い一大事を前にして、少しでも休もうという気にはならなかった。
グラニコスは軽く一礼してから、いそいそと部屋出て行った。
張り詰めたフーゴの心境とは裏腹に、後ろからは小さく寝息が聞こえてきていた。
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この申し出は、フーゴとしても願っても無いものだった。孤独に幽閉されていたフーゴの下に、1人のギルドナイトが味方につくというのだから心強かった。
それだけでなく、彼女の存在がより身近にも感じられるようで嬉しく思えた。
「願っても無いことだ。君が私の側に居てくれるというのなら、これほど心強いものはない。
市民から死傷者を出さないためには、今すぐに皆をこの街から避難させる他に無いだろうと思う。一刻の猶予も無い。
そのために、この街を私の手に取り戻そうと思うから、ついてきてくれ。」
シルヴィアは黙ってこちらを見ていた。フーゴはそれを了解と受け取って、部屋を出た。
廊下には気絶した兵士が何人か横たわっていた。すべてシルヴィアの所為なのだろう。
ギルドナイトがハンターギルド内でも特に危険な任務や密命を帯びるものであり、対飛龍、人に関わらず常軌を逸する能力を持つことを、フーゴは知っていた。
それでもこの光景は驚くべきものであり、彼女が本物のギルドナイトであることをまざまざと見せ付けられたようだった。
同時にフーゴは、数十人のギルドナイトを擁すると言われるハンターギルドの存在を不気味に感じた。公権力とは違った形で武力と発言力を持つギルドには、常に地下世界での暗躍の噂がつきまとっている。
フーゴは、廊下に横たわる兵士が持っていた「ハンターナイフ」と呼ばれる短剣を奪いとった。
ハンターナイフは、その名の通りハンターが武器として、あるいはナタや採取用のナイフとして使用することを目的として作られたものである。安価な割に性能も良いため、多くの兵卒の武器としても採用されていた。
そして二人はそのまま、階下にあるフーゴの公務室へと向かった。フーゴから権力を奪い取ったモゼスが、そこに居るだろうと思われたからだった。
果たしてモゼスは公務室に居た。公務室のドアに向き合うようにある机に腰掛けた彼は、二人の姿を見るとギョロリとした目をさらに大きく見開いた。
「これはこれは・・・。
フーゴ殿、何用かありましたかな?その女は?」
モゼスは見開いた目を再び細め、眉をひそめた。
「彼女はシルヴィアという。
モゼス、お前が言っていた指名手配の女というのは、彼女のことだ。」
フーゴはモゼスの前に仁王立ちになった。このウルタニアで、支配者であるフランツ家を除いて一番の権力を持つウェイニー家との断絶を、彼は決断していた。現在のフランツ家の当主がフーゴであり、ウェイニー家の当主がモゼスである。
モゼスは冷静さを失いかけているのか、椅子から立ち上がって机の横に回った。
「なんと、愚かな。この期に及んで共和国の女と繋がるというのですな。
国を、滅ぼしますぞ!」
モゼスは徐々に語気を強め、最後には叫ぶように言った。しかし、彼が王国側と内通していることが予想される今となっては、その言葉がフーゴの心に響くことは無かった。
フーゴは、確かにウルタニアの今後すべてを予想することは出来ていなかったが、ナスティ公を頼るという決断に迷いを感じてはいなかった。ウルタニアが共和国との内通を疑われ、王国から攻め立てられるということも考えられるが、市民全員を守ることを妥協するわけにはいかないと考えていた。
「彼女はギルドナイトで、お前など赤子の手をひねるようにどうとでも出来る。それに、ついでだが私もこの剣を持っている。
モゼス、今すぐウルタニアを去れ。この街を守るのは私だ!」
片手に持った短剣の、そのきっさきをモゼスに向けようとすると、何者かに手首をつかまれた。
シルヴィアだった。彼女は意味ありげに片頬を上げて笑うと、フーゴの手首を握る手の締め付けを強め、もう片方の手で短剣を奪い取った。
「ヨゴレ役はあたしに任しとけよ。」
その後は、一瞬だった。彼女は瞬く間にモゼスの背後を取り、その喉元に刃先を押し当てていた。
「・・・じじい。死ぬか、あいつの言う通りにするか、どっちにしな。」
彼女の鋭く冷たい硬質な目が、モゼスの肩越しに見えた。それは紛れも無い「ハンター」の目であると、フーゴは思った。
モゼスは見る間に蒼白となっていった。
ひっそりとカウンター置きましたw